14年前の3月11日、 それぞれの思いの中に刻まれているのではないでしょうか。 ラジオで経験を聴いていると、様々なご経験を知ることになりました。
私は14時迄プライベートスキーレッスンを大原スキー場(現在閉場)で行っていました。 レッスン後受講者さんはフリー滑走で少し残って練習すると仰っていました。
地震を知って連絡を入れると、リフトに乗っている最中だったと。 大原スキー場でレッスン後、八海山で友達と合流して週末は八海山で滑ると言っていました。 しかし、時間の経過と共に地震の大きさが日本中をマヒさせる羽目になり、その時間の経過と共に「帰宅することにしました」と。 そして、自宅に帰宅できたのは24時間後(だった気がします)とかと・・・。
関東圏も大マヒでしたから…ね。
地震の時、私は既に家に居ました。 なんだか変な揺れが続いて。 その頃、携帯アラームは鳴らなかった(?)ような気がします。 なんだかほんとに変だと思いました。 そして、TVを付けたのです。 「東北で大地震だって!」と、その後の凄まじい津波の映像!!! ・・・信じられない映像に呆然とするだけでした。
当時のその日は金曜日。 土日でスキーキャンプを予定していて、キャンセル。 しかし、お申し込み下さった方の中には既に移動されている方もいらっしゃったのですが、スキー場も緊急点検必要という事で休場。
「お帰りになった方が良いようです」 と、帰宅することになった方、やはり、相当の時間がかかったと仰っていました。
そして引き続き翌日土曜日早朝には長野の栄村の地震・・・続いたのです。
それから14年。 今でも避難者は27,000人なのだとかと。
相馬市に叔父叔母夫妻が居て、ガソリンも中々手に入らなくなった頃に「こっちに避難して」と提案して、自主避難して貰いました。 少しは安心でした。
相馬に叔父叔母が居ることもあり、福島へは春秋と良く足を運びます。 今居る猫の兄「える」弟「ある」の本籍地は会津若松市。 そのお宅のご夫妻とも繋がりを持たせて貰っています。
くだものも野菜もお米も美味しいですよね。 相馬の叔父叔母がお土産に良く持ってきてくれるのが「シラス」。 美味しいんです!
昨日「帰れマンデー」の番組でも宮城と石川を巡っていました。 ブルーインパルスの飛行が「こんな時に飛んでも良いのか」って思ったらしいですが、空を見上げて笑顔で飛行を見てくれた多くの方が、勇気づけられたとのこと。 番組でも飛行披露してくれましたが、直に見たら、より大興奮大感動なのでしょうね。 TV画面からもなんか日常を少し忘れられる感じに包まれました。 ありがとうございます。 でした。
被災地は今回大火災に見舞われました。 大リーグに移籍した佐々木投手。 小学生の時に大震災を経験して、お父さんとおばあちゃんを亡くされたのだとか・・・とラジオが言ってました。 それから大船渡へ移住して、「14年のこの日、初めて日本から離れて迎えます」と、チームを通してのコメントを寄せたとのこと。 「忘れることはありません」と。
地震国、日本。 これから先、甥っ子や姪っ子の小さい子供達が高齢者になっても、この地震国日本が今のように維持出来ますようにです。 甥っ子や姪っ子の小さい子供達が高齢者になっている頃には、小さい子供達も成人して過程を持って子供が出来、もしかしたらその子供達も結婚してて孫が生まれている頃になっているのかも。
そんな頃には私の命は空に居る頃。 でも、日本が続きますようにと思わずにはいられません。
「震災時にはこれだけを用意しておくように」と言われ続けながらも中々そういう準備が疎かな私です。 只、今日のラジオを聴くと、【トイレ】だけは用意しておくのが良さそうです。 【紙パンツ】も買っておこうかな・・・と、聴きながら思いました。 【飲料水】もなんですよねぇ・・・。 猫も居るから大事ですね。
毎日を大事に過ごしましょう。
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