5月GW明けから、ドタバタドタバタと慌ただしい毎日が過ぎ、今、少しはなんとかペースが自分ペースになりつつあるかな。 というような頃になってきました。 7月から、公の場での活動を再開の予定です。
月山も行かず仕舞いになってしまいましたが、どれ位振りで、月山に行かない季節を過ごしたでしょうかねぇ。 過去、技戦に参戦していた時期、行かない時があった気がしています。 コブが嫌で! 数年間、月山は行かなかった筈なのです。
月山に行かない数年間を過ごして、スキーグラフィックだったかな。 連載ものを受けることになって、その記事を書くのにあたって、「月山に行って書こう!」と、丁度、月山のシーズンだったので、月山姥沢小屋へ長期滞在してスキー誌の連載記事を書いていたこともあったのです。 その時は多分、技戦を引退した頃だと思います。
引退して、「あ、コブって、技戦みたいに真っ直ぐ真下方向へ滑っていかなくともいいんじゃん!」と、自分の中で大発見がありまして、「何故、「コブは真っ直ぐ真下へ滑らなくっちゃいけない」と呪縛のようにとりつかれてしまっていたんだろ・・・別に色々な方向へ進んで滑ってもいいんじゃん!」と、「技戦だからそうでなくっちゃいけない」を、全てのスキーに当てはめ過ぎていたことに気付かされた瞬間でもあったのです。
それを知ってから、「コブは真下方向へ真っ直ぐ滑らなくても良い」を自分の中に存在させたことによって、どれ程心が楽になったことか!!! 実際、大会参戦していた頃は、できればコブは避けて滑りたい種目でした。 今のように確立した技術を自分自身が持っていると感じられなかったからです。
でも、「コブは真下方向へ向かって真っ直ぐ滑らなければならない」と思い込んでいたから、嫌だった訳です。 そうさせてしまったのは大会があったからです。 大会で、やはり点数を出すには真直ぐ真下方向へ向かって滑らなければならないでしょう。
「コブを楽な気持ちで滑りたい」 は、その頃の私の心の本心です。 気持ちを整えて、挑むような精神で滑らなければならなかったから、普通ではいられない訳です。 「コブも普通の気持ちで滑りたい」
ジグザグ滑ればどうってことなかった。 そんな風に大会はさせて貰えませんからね。
技戦参戦の頃に今の技術で滑ることができていたら、どうだったのだろ・・・。 参戦していた頃のコブは、どこもかしこもお椀を被せたような凸のコブだったので、「あの頃の自分が今の技術だったら・・・」。 果て、どんな滑りの披露ができたのでしょうかね。
月山、行かずとなりました。 でも来年は行きます!
そんな山形県から、季節の「果物の宝石」が届きました! ありがとうございました! 美味しい!!!
 どの粒もいっつも美味しい! 山形県寒河江産 佐藤錦!!!
父が残した畑。 まさか、その畑を継ぐ私が存在するとは、父が生存していた時にはこれっぽっちも思わなかったこと。 母がするものだと思っていました。
が、全くの予想外! この私が! 畑の雑草と戦う私が現に存在しているではないですか!!!
それもなんか、やっていると、やらずにはいられない感じがしてきているので、ヤバイです。
そういう宿命にだったのでしょうね。
でも、さすがに日曜日の朝からの雨には、心の底から「ホッ」でした! 一時間寝坊もでき、なんか、心が余裕でした。 雨が降れば、雑草はグングン成長するのですが、土がフワフワで抜くのが楽です。 でも、指や手が疲れます・・・。 一日中の雨は、本当に雨休みとなりました。 有り難かった。
でも、雨が上がれば、やはり、変わらず、雑草との戦いです。
畑、初年なので、「沢山の作物を作るのは無理」と、ショボショボの畝になったのですが、それがいけなかった・・・。 ここぞとばかりに雑草が元気いっぱい! 来年は雑草が生える場所が無い位の畝を作ってやる!!! (来年は今年よりも一つ歳を重ねるのだけど・・・)
もう既に今年も半分が終わろうとしていますよ!!!!! 体造りせねば!!!
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