
はじめまちて! 佐藤、実は五か月前にこの子を産んでいたのです!!! パパ似です!
と、言っても誰も本気にはしないでしょうね。 バリバリスキーしてました頃ですから・・・。
「おいら、奏太(かなた)って言うんだ・よろちく!」 大人の会話、全てお見通しで、心の中で「うるちゃいおとにゃだ!」って、呆れ顔でした。
従弟が、お披露目に来てくれました。 と言うより、仏様のおばあちゃんに逢いに来てくれたのです。 有り難いでした。
玉の赤ちゃん(奏太ちゃん)に、と〜っても素敵な幸せな時間を与えて貰えて、心から感謝です。 ありがとうございました!
嬉しかったです。 全ての空気が、やんわり、ほんわか、幸せ感になったという、本当に神様の様な環境でした!!!
○(まる)は全くダメダメでした。 遠回りして遠ざかって逃げて行ってしまうと言う有様でありました。 一緒に過ごせば、「あたいが守ってやるにゃん!」になるのかも知れませんけれど。
あ〜、い〜わねぇ〜! あかちゃん! 私の年齢なら、私はババで、孫ですよね。 この子がおっきくなったら、「ともちゃん」と、呼んで貰おう。 ・・・この子が二十歳の時、私は75歳!!! スキー、お教えさせて頂きます。
例えば、私のスキー技術に対しての考えとまったくおんなじ人がいて、その人のレッスンを傍観してみたい。 私がレッスンを行って言葉を発しているその時と言うのは、頭フル回転で私のその時のその言葉で提供を行っています。 でも、ふと、「もしかして、おんなじ考えの人が居るとして、その人はどういう言いまわしてこの提供を行うだろうか」という部分を知りたい欲求にかられています。
というのも、「もしかしたら、おんなじことを言っているとしても、人が変わって、言葉が変わったら、すんなりとわかったりするのかも知れない」と、思ったりするようになっています。
これでもか、それでもか、あれでもか、こっちからならどうだ、それでもだめか・・・じゃあ、こっちからならどうだ・・・だめか・・・。 どうしたら良いのでしょう。
この状況、昔の長い板の頃には感じる必要性のない悩みでした。 全てのスキーヤーが、スキーを操作することと、身体を動かす事を当たり前で行っていた事なので、これ程の悩みは存在しなかったような気がするのです。
でも今は! スキーと正体しろ、外向系は作るな、身体を傾けろって有様でしょ。 それでなんでスキーが出来ちゃうの!!!??? あり得る筈のない非常識な技術提供! でもそれが、あったり前に、公の場で正々堂々と広げられてしまっているお陰で、そのお陰で、スキーヤーは初心者レベルのバランスよりも最悪なバランスでスキーをさせられてしまっているではないですか!!!
「回れ、回れって言われます」と、「スキーだから回る」を与えてしまうから、上達しないって言うのを何故理解出来ないのでしょう。 アルペンスキーは、回ってナンボの世界ではないのです。 斜面を滑り降りてどうだかという世界なのです。 滑り下りるスキーヤーが存在しないで、スキーの向きだけ変えようとする技術提供がはびこるお陰で、私は悩みのどん底です・・・。
出来ないことを出来るように導くのですから、簡単ではありません。 動かない身体を動くスキーの上で動いて貰う様に仕向けるのですから、至難の技です。 イメージが湧かない事を模索して貰うのですから、やってるつもりでもそうではない事が多々です。
あ"あ"あ"あ"あ"〜〜〜!!! 3次元空間で、リフト降りてから滑り終えるその間、コマ送りのように画像が残ってさえいてくれたら・・・。 と、どれ程思う事でしょう。
でも、そういう世界でスキーをしたとしても、もしかしたら、受講する人の身体の使い方は立体的ではなくやはり平面的で中々動かない身体の使い方で居るのでしょうか。
スキー=ターンという固定観念を捨てて下さい! 回るのではなく、スキーは真っ直ぐ滑り下りる事が出来なければ、何にもそこから生まれてこないのです。 真っ直ぐ滑ることよりも先に回ることを考えてしまうこと自体、放り捨てて貰いたいスキーの固定観念! 特にカービングスキーになってからの組織の技術はあり得ない技術と化していますから、参りました。
それを一生懸命に習い事で習ってしまっているスキーヤーほど、まともなスキーに軌道修正するのに時間がかかり、私も、もちろん、その方も重労働を強いられています。
まともなスキーとは何ぞや!!!
真っ直ぐ滑りましょ。 横滑りも真っ直ぐ滑る方向へ滑り込んでいけるようにしましょ。
スキーは滑り込む事なのですよ。 滑るの。 スライディングするの。 回ることではないの。 斜面をスライディング出来る動きを身に付けない限り、上手くはなれないのです。
斜面を滑り降りるスキーヤーになりましょ〜よ。 (↑この意味も捉え方様々ですけど・・・)
ハァ・・・。
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