昨日、ご縁がありまして、初めて曹洞宗の研修会という会に同席させて頂きました。
NASPA ニューオータニ にて
実はお世話になっている「龍沢寺(りゅうたくじ)」さんから、チラシを頂き、「お坊さんが作った映画」というのに魅かれ、興味があっての参加でした。
母と「行こう行こう」 でした
お坊さんがどんな映画を作ったのだろうか・・・と、想像をめぐらしてもわからない世界でした。 只、何かしら、良き言葉を得られるのではという気持ちは持っていました。
私自身、祖母が毎朝お仏壇の前に座って、水とご飯を備えお線香を焚いて般若心経を唱えているのを見てきました。 只、その年代はそういうことを通り過ごしてきていました。 「おばあちゃんがやっていること」ということで、「自分には無縁なこと」というようにさえ思っていました。 祖母が他界して、それを引き継いで母が毎朝祖母がやっていたように、お経を唱えています。
私はスキーで活動をしています。 約20年前、オーストリアへ子供達を連れてスキー合宿をしていた仲間の、登山列車火災事故での死亡事故がありました。 その事故を知って私は魂が抜けたような時間を過ごしたのです。 余りにものショックと悲しさ辛さが襲い掛かったのです。 でも、その時に、「般若心経を書くと良い」と、言われたのかどうだったのか、写経を始めたのです。
祖母が毎日唱えていたお経。 違和感なく始められました。
不思議なことに、般若心経は亡くなった方の為と思っていましたが、現世で生きている自分の為にもなっているのだということを実感した私でした。 心が落ち着いて穏やかになってきたのを感じられたのです。
今は省略の般若心経です。 小さな手帳に「ぎゃーてーぎゃーてー」からの経をボールペンで書くことになってしまいました。 それでも大事な日課になっています。
そんな程度の関りの私ですが、「お坊様が作った映画を近くで観ることが出来ると案内を見て、「行く行く」でした。
そして、会場へ行くと、周りは本当にお坊様だらけ! 当たり前ですけど。
でも、映画を鑑賞して、凄く意味深いお言葉が心に沁みました。 「地球と太陽の距離が保たれているこの引力で、私達は生かされている」という、青山俊董老師のお言葉。 それは心に沁みました。
そう言う見方や感じ方をしたことなどなく、改めて、この命の凄さを宇宙空間で感じさせて貰えたことは、とても貴重な体験となったと言えます。
それまでは、どちらかというと、「生きている」という感じです。 しかし、このお言葉で「生かされている」と改めさせて貰うと、重さがとても違ってきていると感じずにはいられないのです。 凄いことだと思います。
また、鑑賞後の主演者の座談会から、ご質問へと移られての時間。 「絶対に質問しないと損!」と思っていた私でした。 只、思いのほか、別なる質問になってしまったのですが 笑。
本当に質問をしたかったのは、「ちょっと重いかな・・・」と思ってしまい、言えず残念ではありましたが。 実はこういう質問をしたかったのです。
当日朝のニュースで「不登校の児童生徒が約30万人」という報道に驚かされました。 映画鑑賞をして、「もし、曹洞宗の志が、もし、今の子供たちやご両親様に知って貰えるとしたら、不登校児童や自殺防止にもかなり繋がるのでは。そういうことは少なくなってくるのではないだろうか」と思った訳なのです。 「そういう関りを持てるようにはならないのだろうか」と思った私だったのです。
それを質問の柱にしたかったのですが、あの会場だと少し空気を重くしてしまうのではと思い、「ムッとする気持ちが湧いた時にはどう対処したらよいでしょうか」等という質問に変わった訳ですが、それに対してのお言葉も、「なる程!」という気持ちで、質問をさせて貰えて良かったと思います。 ありがとうございました。
しかし、今の教育環境では宗教と密接に関わることは中々難しいのだろうなという思いも過り、子供たちやそのご両親が曹洞宗の志や思いを知る機会は無いのだろうなととも。 まして、おじいちゃんやおばあちゃんと生活をしなくなっている家族にとっては、お経とは無縁となっているのではないでしょうか。 少なからず、若い時分に祖母がお仏壇の前でお経を唱えている姿を見ている私には、年を重ねてからのその感じが大事なことに思えるようになってきているのですから、素通りしていても目で見ていたものは、同じ空間を共有してきた時間は、ゼロだったとは言えないと思うのです。
でも、現代は無縁となっているそのものと思います。 なので、自分は自分で、周りとの関りは関係ないというような思いや勝手がはびこってきているのかも知れません。
少しでも、お釈迦様の教えが小さい時分からからだで感じられていたなら・・・特におじいちゃんおばあちゃんと過ごさなくなっている現代ではよりそういう機会を持てるように出来ないものか・・・等と思った訳なのです。
もっと知って貰いたいですね。 生きるということと命の灯が消えるということは一緒に考えなければならないと思いましたので尚更。
自分を自分と思うのは当然として、自分を取り巻くすべてを自分と思うことも「ムカつく」とか「イライラいする」というような気持ちの軽減に繋がるのかもと思いました。 また、「「お釈迦様の赤ちゃん」って思う」ということも考えが及ばなかったこと。 そうなると、本当に気持ちを込めて優しく扱わなければならないと、優しい気持ちでと言うよりも気持ちが張る感じです 笑。
帰路、前を走るトロトロの車に「もっと走って!」と、ムッとする私が居ました。 そのトロトロ車を自分と思うには到底辿り着けず、「いやはや、私の修行は修行にならないなぁ〜・・・」って苦笑でした。 でも、そういう比較する対象も得られたのは、とても大事な時間を持てたと感謝です。 ありがとうございました。
尚も、「青山老師」さえも知らなかった私。 そのようなお坊様を知るj事が出来たことは本当に有難かったです。
何より、般若心経を聴けたことも心がス〜ッとしました。 出来れば、会場で生の般若心経をお坊様みなさまで唱えて頂きたいほどでした。
感謝感謝の時間でした。
そして、「全てがご縁」 本当に全てがご縁と強く感じられたことも財産になりました。
何より、合掌が印象深く、私もことある毎に手を合わせてみようと思うようになりました。
時ある毎に、こういう目で見て、耳で聞いて空間を共有できる機会が与えられたら素晴らしいだろうなと思います。
合掌
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